甲斐武田家発祥の地・韮崎をめぐる
2023年放映の大河ドラマ「どうする家康」にも登場した武田家。
甲斐源氏の一族の竜光丸(りゅうこうまる)が韮崎市の武田八幡宮で元服し、武田信義(のぶよし)を名乗ったことにより、甲斐武田家が発祥したといわれています。
今回は、甲斐武田家発祥の地である韮崎市の”武田家ゆかりの地”をご紹介します!
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創建から1200年を超える古い歴史をもつ武田家の氏神。
武田信虎公・信玄公により再建された本殿は、武田家の強大さを誇る造りとなっており、国の重要文化財に指定されています!
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甲斐武田家の祖・武田信義公の菩提所。
信義公が造立したと伝えられる「木造阿弥陀如来および両脇侍像」(国指定重要文化財)や、信義公の墓塔とも伝えられる「五輪塔」、後白河法皇が命名した「鳳凰山」の山号額(市指定文化財)など、当時を偲ぶ貴重な歴史が感じられる古刹です。
※坐禅会や法話も随時受け付けています。(要予約)
※「木造阿弥陀如来および両脇侍像」の拝観は要予約
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新府桃源郷
丸馬出
★続日本百名城★
武田家最後の当主・武田勝頼公によって七里岩の台地に築城された城郭。
織田・徳川軍に攻められ、築城からわずか68日という短さで自ら火を放つこととなった悲運の城とも言われている一方で、戦国武田家の集大成の城をいまに伝える良好な城跡です。
新府城跡からは、富士山や八ヶ岳のほか、春には一面に咲き誇る新府桃源郷を望むことができます!
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1582年3月3日、織田・徳川軍に攻め込まれた武田勝頼公は、新府城に自ら火を放ち、家臣小山田信茂が待つ岩殿城を目指して逃げたとされています。
「涙の森」は、炎に包まれる新府城を振り返り、夫人とともに涙にくれたといわれている場所です。
勝頼夫人は「うつつには おもほえがたきこのところ あだにさめぬる春の夜の夢」と一首を詠じ、名残を惜しんだと伝えられています。
武田家の武将が望んだかもしれない景色を、あなたもぜひ巡ってみてはいかがでしょうか?
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(一社)韮崎市観光協会
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更新日:2023年03月28日