武田信義公館跡
紹介
甲斐武田家の祖である武田信義公が館を構えた場所と伝えられています。
信義公は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、元の名を源信義といいます。保延6年(1140)、13歳のときに武田八幡宮で元服、武田太郎信義を名乗りました。その後、強大な武力を誇る甲斐源氏一族を率いて平家討滅の武功をたてました。
1186年に病没したとされ、お墓は館跡近くの願成寺にあります。
住所 |
〒407-0041 山梨県韮崎市神山町武田556−2 |
駐車場 |
山梨県韮崎市神山町武田260(わに塚のサクラ駐車場) |
交通アクセス |
【自動車】中央自動車道韮崎ICから約15分 【電車】JR中央本線韮崎駅からタクシーで約10分 【バス】韮崎駅前ロータリーから市民バス円野線に乗車、バス停・武田で下車、徒歩約10分 |
備考 |
このページに関するお問い合わせ先
(一社)韮崎市観光協会
〒407-8501
山梨県韮崎市水神一丁目3番1号
電話番号:0551-22-1991
更新日:2021年05月26日